卵巣嚢腫で卵巣切除することになっちゃった・・
きちんと妊娠できるのかな?不安だな・・
女性特有の病気である、卵巣脳腫。薬で治す人もいるかもしれませんが、私の場合は右側卵巣を切除しました。
その経験談をもとに、卵巣を片方切除した場合でも妊娠できるの?と不安に思っている人に、実際産めたお話をします。
どういう経緯で卵巣脳腫が見つかったのかについても触れているので、卵巣脳腫になってしまって不安に感じている方にも参考になれば嬉しいです。
このお話からわかること
・ひとつの卵巣だけでも、妊娠・出産することができる
・卵巣嚢腫が見つかった経緯がわかる
卵巣脳腫が見つかった
まずは、どんな状況で卵巣脳腫と診断されたのか、お話しますね。
ブラック企業で休みなく働いていた日々
卵巣脳腫が見つかったのは新卒1年目の23歳のときでした。
就職した経緯から少し説明しますね。
関西のとある大学に通い、一人暮らしをしていました。
大学卒業を前に、周りに漏れず就職活動をしていましたが、
時代は超氷河期。(歳がバレますね)
応募しても応募しても落ちる日々でした。
そんな鬱々した日々の中で私が唯一受かったのが、地元にUターンできる企業で、
「ジュエリーアドバイザー」という職種。
そこが蓋を開けたら超絶ブラックでした。
・・ブラック企業で働いていた件については、別の記事でお話していますが、とにかく休みなく働くことに。
![](https://momonokurashi.blog/wp-content/uploads/2022/10/jewel-7389356_1920-300x200.jpg)
月曜のみのお休みでしたが、月曜出勤も結構あり、毎日終電近くまで会社にみんないる。
ノルマはないとは言っても契約が取れなければ上司からの激しい叱責がくる。
気が休まるのは同僚と会社の愚痴をコソコソ言い合うときだけ・・そんな状態で10か月ほど働いていたある日の朝。
朝起きてベットの中で、なんとなく腹痛を感じてお腹をさすったとき、
ソフトボール!??
皮膚の上からソフトボール大のボールみたいなものに触れたのです。
ぎょっとして、起き上がってみたら、もうそのボールはわからなくなっていました。
あれは何だったのかな・・気のせいかな?
その日も仕事だったのですぐに忘れてしまいました。
直前に、広島県への出張が迫っていたのでとにかく出勤せねば、と思いました。
広島出張に出向き、順調にノルマをこなし、車で来たお客さんをコインパーキングにてお送りしていたとき、
何かが私の頭の上にガッツーーーーーーン!!と降りてきました。
それは、パーキングの出口に設置されていた遮断機のバーでした。
しばしその場に倒れこんだあと、痛みでぼーっとしながらもみんなのところへ戻りましたが、
たんこぶは大きいし、痛いし、涙が止まらない。
ちょうど出張最終日前日だったので、翌日帰宅し、病院へ行きました。
脳外科で診察してもらい、脳には異常はないけれど、ちょっと腫れてる状態ですねと。(今考えると謎)
日にち薬ですから安静にしてください。と言われました。
ちょうどその診察を受けていたとき、なんとなく腹痛を感じて、そういえばお腹も診てほしいですと申し出ました。
内科に通され、すぐにこれは婦人科に、とさらに回されました。
そこで婦人科の先生が、軽く言いました。
これは、、5センチ以上あるから切らないと。入院ね。右の卵巣ね。
このときの私は、卵巣を取る恐怖よりも、会社を休める安堵感が体中に染みわたっていたことを覚えています。
手術のため2週間の入院生活
すぐに手術日程が決まりました。
親はめちゃくちゃ心配していましたが、私は少しウキウキしていました。
やっとゆっくりできるーーーーー!ずっとゴロゴロできるーーーしかも堂々と!
手術に向けて、手術前の色々な処置をすることに。
まずは浣腸。初めてだったので上手くいったのか微妙でしたが、なかなか我慢できない子でした。
そして白い手術着に着替え、尿道に管を通されました。
これが想像以上の痛み!ここで初めてちょっと怖いかも?と感じました。でも通ってしまえばすぐに慣れます。
その後点滴の管を手首に刺され・・これも痛い。でも仕方ない。色々と諦めていき、ついに手術台へ。
全身麻酔だったのか局部麻酔かは忘れましたが、何にも覚えてないのできっと全身ですね。
看護師さんに、横向きになってエビのように体を丸くして!と指示されました。
そのときはほぼ全裸にされたような気がします。とにかくエビになって!と言われたことを覚えています。
背中から麻酔を入れました。
そして気づいたら、もう病室のベットの上でした。
気付いたときにいた母に、卵巣の中に髪の毛がたくさん入っていた、と聞きました。
なんかブラックジャックでそういうの読んだ気がする・・と思いました。
腹を横向きに7センチほど切ったので、腹筋に力を入れられず、起き上がれませんでした。
とりあえず眠れるだけ寝ようと、しばらく寝ていました。
手術の翌日、眠気も覚めて少し起き上がろうかな、とベットの機能を利用して身体を起こしてみたら・・
ものすごい頭痛がしました。まるで、孫悟空の輪をつけられ、締め付けられたみたいな。(つけたことはないですが)
看護師さんに聞くと、麻酔の副作用で頭痛が出る人もいる、とのこと。
ぶっちゃけ、この頭痛がこの手術で一番つらかったこと。
2,3日は続き、全く起き上がれませんでした。
お見舞いに来てくれた友達がいたのに、私の辛そうな状態を見て、
お花だけ置いて申し訳なさそうに帰っていったのを今でも覚えています。
テレビがついていて、モーニング娘が踊っていて、
ああ、、、健康で踊れるって素晴らしい・・って感じたこと。。
健康のありがたみを痛いほど味わった日々でした。
3人の子供を授かった
その後、半年に一度の頻度で経過観察をしました。
左の卵巣しかないから、きちんと左が機能しているか?を毎回確認するために。
ブラック企業は、病気をきっかけに退職を申し出ました。
激務のストレスから病気になったに違いない、と両親の猛反対を受けた形です。
でも会社に伝えると、営業を降りて、総務で働いてくれないか?とのことでした。
総務なら、定時は18時までなので多少は人間らしい生活ができる。
大好きな同僚と離れずに済む、と思い、総務へ異動しました。
その後4年ほどして転職し、今働いている会社に派遣社員として入社し、
正社員に登用され、社内結婚をして今に至ります。
結婚したときは34歳でした。
義母には、卵巣がひとつしかない、34歳と結婚してホントに大丈夫なの?と心配されたみたいです。(後日談でも傷つくわ)
でも卵巣を切ってくれた主治医は言いました。
もう一個あるから大丈夫。と。まぁ、早めに作った方がいいけどね。と。
そう、この主治医、軽いんですよ。
でもそれが私には合っていました。
後々その主治医は産院を開業して、私の3人の子供を取り上げてくれました。
一人目は37歳のとき。
2人目は41歳のとき、3人目は43歳のとき。
そうです。卵巣ひとつしかなくても、高齢出産にも耐えられました。
妊活についての体験談は、また別の記事でお話したいと思います。
誰かひとりでも、この記事を読んで卵巣嚢腫の不安から解放されるといいなと思って書きました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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